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英語がわずかでも存在する場所は、上手に使えば最高の英語教室に変身!


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By Dr. K. Kinoshita(木下和好): YouCanListen 開発者・同時通訳者・元NHK TV・ラジオ 英語教授

<お金のかからない英語学習法>

子供の英語教育には高額な投資が必要な時代だが、私が子供ころ、我が家は極貧状態で、習い事はそれが何であれ不可能に近かった。戦後間もなかったので、英語教室自体があまり多くなかったが、それでも何人かの子供達はどこかの英語教室に通っていた。 私には英語教室に行くチャンスはなかったが、英語を話したいという夢が消えることはなかった。私に残された唯一のオプションは、お金がなくてもても英語を覚えられる工夫だった。そんな私が発見したのが、家庭内の英語独学法だった。

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<私の夢を膨らませた映画>

私はとにかく外国と英語にあこがれた。港町を散策する外国人船員たちの異国的雰囲気と、意味のわからないことばの響きが、私には大きな刺激であった。

そんな私の夢とあこがれに拍車をかけたのが、1本の映画だった。我が家は貧乏だったが、安い映画館で洋画を見に行くことはあった。ある時近くの映画館で「80日間世界一周」という映画を見たが、その内容に釘付けになってしまった。全てが新鮮で興味深く、夢を掻き立てるものだった。私の外国と英語にあこがれは益々膨らんだ。映画の登場人物がうらやましかった。なぜなら彼らは実際に色々な国を体験したからだ。映画に映し出された国や場所は私の脳裏に焼き付けられ、今でも鮮明に覚えている。それから何十年も経った今、年に3度程海外旅行をするが、あの映画と同じ場所に足を踏み入れると、今でも何とも言えない興奮を覚える。

もうひとつ私にアメリカへの憧れを抱かせたのが、喜劇俳優 Jerry Lewis が演じる英語の映画だった。内容的には喜劇であったが、アメリカの生活の様子をまのあたりに見ることが出来、アメリカ人のように英語を話し、アメリカで生活して見たいと思うようになった。

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<夢に近づけてくれたローマ字>

なかなか英語に触れるチャンスがなく、英語環境が全く整っていなかった私を、多少でも英語に近づけてくれたのがローマ字だった。なぜならローマ字は英語のアルファベットそのものだったからだ。小学4年から学校でローマ字の勉強が始まったが、私はすぐに虜になってしまった。ローマ字を書いていると、英語を書いている気分になったからだ。それから私は何でもかんでもローマ字で書くようになった。日記を書かせ定期的に提出させる先生がいたが、私が日記をすべて完璧なローマ字で書いたことをほめてもらい、私の英語への憧れはますます大きくなった。

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<兄や姉たちも英語にあこがれていたようだ>

私は5人兄弟の末っ子だったが、父が実現させられなかった夢の話のせいか、兄や姉たちも英語や外国に興味があったようで、英語を楽しんでいるように見えた。

10才年上の兄は英語が得意だったみたいで、高校生の時、英字新聞を読んだり、清水市長のこどもに英語の家庭教師をいていたようだ。私もそうなりたいと思った。次が姉だったが、彼女も英語の歌を楽しそうに歌っていた。私も英語の歌を歌いたいと思った。次の兄は中学生になると外国人との文通に凝り始め、手紙を何度も書き直しながら、2人のアメリカ人の学生と文通をしていた。文通相手は時々日本には無い珍しいものを送ってくれたので、私のアメリカへの憧れは更に大きくなった。すぐ上の姉も英語が好きだったようで、音楽の指揮者のように手を振りながら教科書の英語を反復練習していた。本当に楽しそうだったので、私も英語にリズムを付けて話してみたいと思った。このように私の外国と英語への憧れは増幅され、じっとしていられない気持ちになった。

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<狭い家が幸いした>

それでも私には英語を習う方法がなかった。中学校に入学すれば、英語の授業が始まるのはわかっていても、それまで待つのがつらかった。

でも貧乏だと良いこともある。7人家族の我が家には寝室がひとつしかなかった。小5の時にもう少し広い家に引っ越したが、それでも7人で住むには十分な大きさではなかった。でもこの貧しさが私にチャンスをくれた。兄達や姉達には勉強机がなく、皆手が届くような場所で予習や宿題をやっていた。もちろん中学校の英語の予習・復習も私のすぐそばでやっていた。私は知らず知らずの内に、兄や姉の口から聞こえて来る学校英語すなわち中学校の教科書に出て来る英語に耳を傾けるようになった。意識的に覚えようとしたわけではないが、短くてリズム感のある英語をなんとなく真似して言うようになった。こうして少しずつではあったが、憧れの英語が自分のものになって行った。

私はそのために1円も使うことはなかった。家が狭かったことがプラスに働いたのだ。理想的なネイティブの英語に触れたわけではないが、教科書で教える英語だから、文章的にはまともな英語だったはずだ。

<最初の会話の体験>

私が初めて直接的にアメリカ人と会話をしたのは、小学4年の夏休みだった。小学4年になった時、私はボーイスカウトに入隊した。そして最初の夏休みに、山中湖の湖畔にあったボーイスクト専用のキャンプ場でのサマーキャンプに参加した。清水駅から列車で御殿場に行き、そこから山中湖行のバスに乗った。

当時富士山麓に米軍の基地があったが、バスがその近くを通った時、ひとりの米兵がバスに乗り込んで来た。私の隣が空席だったので、彼はそこに座った。その時、独学英語を少しだけ体験した私はとっさに思った。「英語を話そう」と。最初に私の口から出て来た英語が”What time is it now?”だった。時刻を確認する必然性はなかったが、それ以外の英語は思いつかなかった。すると彼は腕時計を私に見せてくれた。私の英語が初めて通じた瞬間だった。私は本当に興奮し、その米兵も私が英語を話す少年であると思ったらしく、時計を見せた後、色々私に話しかけて来た。もちろん私は彼の言っている英語の意味が全く分からなかった。でも私は礼儀正しい少年だったので、彼の会話を無視するのは失礼だと思い、”Yes”と”No”を交えながら彼の話に反応した。もちろん私が英語を全く話せないことはすぐにばれてしまった。彼は私に話しかけることを辞め、なんとなく気まずい雰囲気になった。

しばらくすると彼はバスを降りたが、私の方を振り、返り手を振ってくれた。私は夢心地になった。”What time is it now?”は確かに通じたし、そのひとことで彼と友達になれたような気がしたからだ。その後私の英語への憧れは膨らむ一方だった。

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