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英語の話し相手は、その気になればなんとか探しだすことが出来る!


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By Dr. K. Kinoshita(木下和好): YouCanListen 開発者・同時通訳者・元NHK TV・ラジオ 英語教授

<英語の環境は英語圏にだけにあるわけではない>

私と出会った多くの人達は(日本人もアメリカ人も)、私が長い間米国に滞在していたので、英語が自由に話せるようになったと思い込むようだ。もちろん日系アメリカ人のようにアメリカで生まれ育てば、英語を流暢に話すのは当然なことだ。でも私は25才でボストンにある大学院に留学するまで、外国生活の経験はない。外国に行ったのは大学1年の時1回だけで、ドイツのBerlin に2週間滞在しただけだ。すなわち英語ネイティブスピーカーに囲まれて生活した体験は1度もなかった。

でも私は渡米する前に英語を自由に話すようになり、あるいは通訳のアルバイトで学費を稼ぐことが出来るようになった。私は英語の学習環境は英語圏だけにあるのではないということを小学生の時から学び又体験した。

<山中湖へ向かうバスの中で>

私は小4になった時ボーイスカウトに入団したが、最初の夏休みに山中湖ボーイスカウトキャンプに参加した。清水駅から御殿場駅まで列車で行き、御殿場で山中湖行のバスに乗った。しばらくするとある停留所で米兵がバスに乗り込んで来た。当時富士山麓に米軍基地があり、そこのGIだったようだ。キョロキョロ見回した後、私の隣が空席だったのを確かめ、そこに腰を下ろした。その時私はとっさに思った。「英語をしゃべろう!」と。家で兄や姉の中学校の英語を聞きかじって少しだけ覚えただけだったが、とにかく英語で何かを言いたかった。次の瞬間口から出た英語が”What time is it now?”だった。発音が良かったのか悪かったのかはわからないが、彼は腕時計を私に見せてくれた。ということは、私の英語が本当に通じたということだ。彼の腕時計は午後1時半を示していたが、何十年経った今でも、その時刻を忘れたことが無い。彼は私が英語を話す少年だと勘違いし、私に向かって色々な事を話し始めた。もちろん何を言っているのか全く分からなかった。でも「人の話を無視してはいけない」と教えられていたので、Yes と No を交互に織り交ぜながら反応した。英語が全く話せないことがすぐにバレ、その後沈黙状態が続いた。何となく気まずい思いになった。やがて彼は下車することになったが、降り口の所で私の方を振り向き、手を振ってさよならの挨拶をしてくれた。その時、たとえひとことであっても英語が通じたことの喜びを感じた。

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<パチンコ店に入る>

それでも私には本格的に英語を習う方法が無かった。貧乏で英語塾に通うこともできず、唯一英語に触れる方法は、家で兄や姉が中学校の英語の予習や復習する時の声に耳を傾けることだけだった。それでも興味を持って聞いて真似すると、言える英文の数が少しずつ増えて行った。

小5の時、我が家は三保の松原から清水港に近い場所に引っ越したので、目貫通りで外国人の船員を見かける機会が多くなった。小5のある時、「今日は絶対に英語をしゃべろう」と決意し、目貫通りに行った。すると早速通りを歩いていた2人の外国人船員に出くわしたので、彼等の脚にまといつくようにして歩調を合わせ、英会話を開始した。最初に思い浮かんだ英語が “Are you a boy?” だった。でも返事が無いので”Yes, I am.” と自分で答えた。次に思いついた英語が “How many brothers and sisters do you have?” だった。でも彼等が黙っているので、”I have two brothers and two sisters.”と自分の兄弟の数を教えてあげた。今度は何を言おうかと思っていたら、”There is a book on the table.”という英語が口から出て来た。もちろんそこにはテーブルも本もなかったのだが。実際は自分で質問して自分で答えていただけだが、なんだか本当に会話がスムースに進んでいるような錯覚に陥り、とても良い気分になった。

その2人の船員はパチンコをしたかったようで、そのままパチンコ店に入って行った。小5の私も何のためらいもなく追いかけるように入って行き、パチンコ台の脇に立った。すると船員のひとりがやっと私に英語で質問してくれた。私は有頂天になり、大きな声で”I’m fine, thank you. And you?”と答えた。すると2人の船員は急に立ち上がり、逃げるようにしてどこかに消えてしまった。パチンコ店にひとり取り残された私は、その状況が理解できなかった。せっかく本格的な会話が始まったばかりなのにと。でも私が船員の言った英語を聞き間違ったことが原因だったようだと後から気づいた。”How are you? (ご機嫌いかがですか)”と聞かれたと思った私は、教科書通リに”I’m fine, thank you. And you?”と答えたわけだが、実際は”Who are you?(お前は何者だ?)”と言ったに違いない。それに対して”I’m fine, thank you. And you?”と私が答えたので、彼等はパチンコをする気持ちすら失せてしまったに違いない。

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でも外国人を相手に自分で質問し自分で答えた私は、会話が成り立ったような気分になり、英語を話すことの楽しさを覚えた。

<米軍艦内で食べたアイスクリーム>

ボーイスカウトに入団して、もう1つ忘れられない出来事があった。毎年恒例の港祭の時、米国の軍艦が港の沖合にやって来て、ボーイスカウトの少年達が上陸艇に乗せられ軍艦に招待された。軍隊のことをよく知らなかった私にとって、そこは軍艦というよりアメリカそのもの、すなわち英語の世界だった。あっちからもこっちからも英語が聞こえ、何だか夢の世界に迷い込んだ気分になった。しかもそれまでに見たことも口にしたこともない、とろけるようなアイスクリームが配られ、そのおいしさに感動した。と同時に、世の中にはこんな世界が実際に存在するのだと思い知らされた。こうして私の英語に対する情熱は益々深まって行った。

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<兄が文通を始め、アメリカからプレゼントが届いた>

私の英語への情熱は高まる一方だったが、英語を覚える手段は相変わらず兄や姉の中学校の英語の予習復習に耳を傾けることだけだった。そんな時、外国のペンパルとの手紙交換が流行し始め、中学生だった兄もアメリカの女学生と文通を始めた。「英語の手紙の書き方」という本を見ながら、1つの手紙を何度も書き直しては、彼女に送っていた。彼女からも1、2か月に1度手紙が届き、兄は辞書を片手に読んでいた。やがて手紙だけではなく、プレゼントが届くようになった。面白そうなゲームや日本ではお目にかかれないような物が届いた。そして当時は見たこともないような置時計が送られて来た。アメリカ人はこんな時計を日常的に使っているのかとうらやましく思った。

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その時計に魅惑された私を見て、兄は私にこう言った。「もし英単語を2000覚えたら、この時計をやるよ!」と。私はすぐさま白紙の単語カードを用意し、表に英語、裏に日本語を書いて、1語1語覚え始めた。でもただ繰り返すだけでは2000語をなかなか覚えられないので、深く記憶に残った単語カードを取り除く方法を思いついた。すると繰り返している内に覚えられない単語数が減って行き、やがてわからない単語がゼロになった。本当に記憶として脳内に定着したかどうかはわからないが、兄に「英語2000語を全部覚えたよ」と言うと、そのことばを信じた兄は褒美として私にあの置時計をプレゼントしてくれた。私は感動し、益々英語の魅力にひかれて行った。

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ところで、深く記憶に残った単語カードを取り除く方法は非常に効果的な学習法だと気づいた私は、やがて YouCanListen という英語スピーキング上達教材を開発した時に、そのシステムを導入し、高い評価を得る結果となった。